第1部目次
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1-3: 中性子の発見 |
「同位元素の問題」
J.J. トムソン (イギリス:1856−1940) は, 天然のネオンが 2種類の異なる原子量を持つものの 混合物であることを 発見しました (1912). その後,アストン (イギリス:1877−1945) は, 精密な質量分析を行って, さまざまな元素が, 何種類かの異なる原子量をもつ 同位元素 (同位体) の 混合物であることを 確かめました. つまり, 自然界には, 同一の元素に 重さの異なる同位体が 存在するわけです. このことは, 同一の荷電を持ちながら, 質量の異なる原子核が 存在することを意味します. もし原子核が 陽子と電子から 構成されているとすると, 同位体 が存在するということは, どう考えたらよいのでしょう. |
「原子核は陽子と電子で
構成されているか?」
ある種の原子核が電子を放射して β崩壊 することは良く知られています. 原子核が陽子 と電子 から 構成されていると考えると, β崩壊も自然に理解できるし, はなはだ都合が良いように 思えます. しかしこの考え方には, 次に述べるような いくつかの重大な 問題点があります. |
(1) スピンと統計性の問題
スピンと統計性の 詳細について学びたい方は, 別の量子力学に関する 専門書を参照して下さい. ここでは大雑把な 筋書きのみを説明しましょう. (ミクロの世界 −その2−: 「パウリ原理,スピン」 の項参照). 話を分かりやすくするために, 具体例として, 原子番号が7で 原子量が14の原子核, 窒素14 (14 N) を 考えましょう. 陽子も電子もともにフェルミオン (フェルミ粒子) です. 偶数個のフェルミオンの複合体は, 全体としてはボソン(ボーズ粒子) の 統計性を持ち, 奇数個の場合はフェルミオンの 統計性となります. 窒素14 が 14 個の陽子と 7個の電子が結合したものであるとすると, 全体の粒子数は 21 となり奇数個です. ところが,分光学の実験結果から. 窒素14 を構成する粒子数は偶数で, 全体としてはボソンでなければなりません. これが第1の問題点です. 第2の問題点はスピンです. 陽子も電子もともに のスピンを持っています. 粒子数が偶数の場合の全スピンは の整数倍です. 奇数個の場合は の奇数倍となることが 分かっています. 一方,窒素14 の原子核の スピンの実験値は 0 ですから, 全体の粒子数は偶数でなければ なりません. この点も大問題です. (2) 不確定性関係に関する問題 原子核が陽子と電子で 構成されていると考えると, ヘリウムの原子核であるα粒子は 4個の陽子と2個の電子で 出来ていると考えられます. α粒子の直径はほぼ です. このサイズの中に 電子を閉じ込めるとすると, 電子の位置の不確定性は です. このとき,量子力学の 不確定性関係 から, 運動量の不確定性を求め, 速度の不確定性を計算すると となりますが, この値は光速 を はるかに超えるので, 特殊相対性理論から考えて 不合理です. つまり,電子のように 軽い粒子を, 原子核のように狭い範囲に 閉じ込めることは困難です. この点がもう一つの 重大な問題点です. |
「ラザフォードの予測」
上に述べたような 原子核が陽子と電子とで 構成されているという考え方の 問題点は, 質量が陽子とほぼ同じで, 電気的に中性の 粒子が存在すれば 一挙に解決されます. これにより 同位元素 の存在も容易に説明できます. ラザフォード は このような未知の 中性粒子の存在を予言し, 自分の弟子や学生に話していました. この影響を強く受けた 優秀な弟子の一人, チャドウィック (イギリス:1891−1974) は, この中性粒子を発見するべく 努力し,ついにその発見の栄誉を 自らのものにしました. この中性粒子は, チャドウィックにより 中性子 (neutron) と命名されました. |
「中性子の発見」
中性子の発見は, いくつかのグループによる 数年にわたる何段階もの 努力の結果 成し遂げられました. |
(1) ボーテ・ベッカーの実験
1928年, ボーテ (ドイツ:1891−1957) と彼の学生, ベッカー は ポロニウムからの強いα線を ベリリウムに照射したところ, 高いエネルギーの透過性の強い 放射線が放出されることを見つけました. ベリリウム以外にも, リチウムやホウ素でも 同様な放射線が観測されました. 最初,この放射線は 高エネルギーの γ線と考えられました. (2) I. キュリー - ジョリオの実験 1931年頃, イレーヌ・キュリー (キュリー夫妻の娘; フランス:1897−1956) と ジョリオ (フランス:1900−1958) は 上記のボーテ達の高エネルギーの 放射線が,パラフィン中の 水素原子核 (= 陽子) を弾き飛ばすことを 報告しました. ジョリオ・キュリー夫妻は この現象をγ線が陽子によって 散乱される コンプトン効果 によるものと考えました. すなわち,この陽子は, 高エネルギーのγ線の粒子 (光子) がパラフィン中の 陽子に衝突し,これを ビリヤードの玉のように 弾き飛ばした結果, 飛び出してくる 反跳陽子であると 考えたわけです. (コンプトン効果については, ミクロの世界 −その1−: 「コンプトン効果」 のページ参照). (3) チャドウィックによる 中性子の発見 チャドウィックは ジョリオ・キュリー夫妻の 論文に注目し, 実験を繰り返し, 再検討しました. その実験装置の概念図は 下図 の通りです. (Po-Be) の線源から 放射された 透過性の高い放射線を, ターゲットとして 前面にパラフィン の板 を置いた 霧箱 に導きます (下図参照). その放射線は パラフィン中の 水素原子の原子核 (陽子) を弾き飛ばします. この陽子を 背後の霧箱で 写真に撮ったわけです. チャドウィックは ターゲットとして パラフィン だけでなく, ヘリウム や 窒素 も 試しました. それらの結果を比較検討し, その透過性の高い放射線が γ線であると考えると 説明できない矛盾が生じ, この謎の放射線は 質量が陽子とほぼ同じで, 中性の粒子である ことを 確かめ,中性子 (neutron) と名づけました(1932). 要するに, ジョリオ・キュリー夫妻は, 中性子を捕まえていたのに 残念ながら それと気が付かなかったわけです. かくして, 彼らは 「中性子の発見」を 間一髪取り逃がし, その栄誉を チャドウィックに さらわれてしまったわけです. しかし,中性子の発見の 栄誉を取り逃がした ジョリオ・キュリー夫妻は, まもなく 「最初の人工放射性元素の合成」 という栄誉を 勝ち取ることになります. |
チャドウィックの実験装置の概念図
左にポロニウムの α線源とターゲットの ベリリウムが置かれています. 高速のα線がベリリウムに 照射され,放出された 透過性の高い放射線 (紫色の破線矢印: 実は中性子) が パラフィンの中の 陽子を弾き飛ばし, 陽子は背後の 霧箱で観測されます. |
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