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1-4: ハイゼンベルクの考え方

 前のページの シュレーディンガーの 波動力学が発表されたのと ほとんど同じころ, ハイゼンベルク (ドイツ: 1901 - 76) は のちに 行列力学 と呼ばれる ようになった 新しい理論を 提唱しました (1925).
 質量 m粒子の運動を考え, その運動量を p位置を q という 変数で表すことにしましょう. 古典力学においては, ニュートンの運動方程式 によって,粒子の位置 q速度 v 或いは 運動量 p = mv が時間とともにどのように 変化するかがきまります. つまり,粒子は 時間とともに 速度 (運動量) を 変化させながら 1つの軌道 を描いて運動します. したがって,粒子の 運動量 p位置 qよって運動の軌道や 状態を完全に記述 できるわけです.

  「ハイゼンベルクの行列力学」
 上に述べた古典力学における 変数 pq は,ごく普通の変数です. pq掛け算するとき, 掛け算の順番を ひっくり返しても 答えは 同じです.つまり

です.ところが ハイゼンベルクの 理論においては 掛け算の順番によって 結果が異なるのです. 普通の変数の場合, このようなことは ありません. ハイゼンベルクの 理論においては, 物理量表す変数が 普通の変数ではなく, 数学でよく知られた 行列 であると 主張します. そこで以下では ハイゼンベルクの 変数を太字表すことにします.
 行列は多数の 要素 から 成っていて,

と表されます. 行列も, 普通の数と同様に, 「四則演算」 (和,差,積,商) を 定義することができますが, 例えば運動量を表す行列 p位置を表す行列 q との の場合,順番によって 結果が異なり,

なのです. ハイゼンベルクは この2つの積の

としました. (ただし,I 単位行列 です.)
 ハイゼンベルクは, 行列の形に書いた 古典力学の方程式に 上の条件 (1) を 加えることによって, 水素原子の スペクトルの 振動数と強度を 正しく与える ことができました. この結果は, シュレーディンガーの 波動力学 の結果と 全く同じでした.
 一見,何の共通点も 無さそうな ハイゼンベルクの 行列力学シュレーディンガーの 波動力学 とが, 同じ結果をもたらす ということは 驚嘆すべきことでした. しかし, シュレーディンガーは 波動力学と 行列力学とが 数学的に 同等 であり, 互いに一方から 他方を導き出すことが できることを示しました(1926).

  「線で描いた軌道をやめよう − 常識を捨てるべし」
 ここまで学んで来たことを 振り返ってみると, 古典力学における 粒子の運動の軌道 という概念は, ミクロの世界 では 通用しないのでは ないか, と思われます.
 私達の常識では, 粒子は 考えられ,粒子の運動は 時間とともに変化する 点の 位置 と, 各点における 速度 (又は運動量) で表されました. つまり,点が動いて 線となって 軌道 が描け,その軌道上の 各点において 粒子の運動量が 決まっているという 考え方です. これが マクロの世界の常識 です.
 ところが, シュレーディンガーの 波動力学では, 物質粒子は 粒子 として 運動するだけでなく, ド・ブローイ波という 波動 も伴っています. ハイゼンベルクの 行列力学では, 粒子の位置や運動量は, もはや普通の量ではなく, 行列 であると 言います.
 そうすると, どうやら, これらの位置や運動量は もはや私達が考える 常識的な 「きっちりとした1つの値」 を持つ量とは 限らないことになります. ミクロの世界では 「常識を捨てなさい」量子力学言っているようです.
 人類が長年月の間 慣れ親しんできた, そして誰も疑うことが 無かった このような常識を, ミクロの世界では 捨てても かまわないのでしょうか.

  「ハイゼンベルクの 不確定性原理
 上に述べたように, ミクロの世界では 「常識は捨てても かまわない」とハイゼンベルクは 主張しました (1927). その根拠が 以下で説明する ハイゼンベルクの 不確定性原理 です. これを説明するために, ガモフ (ロシア,アメリカ: 1904 - 68) が用いた面白いイラスト を借用しましょう (下図).

  不確定性原理を説明する仮想実験装置
 図はガモフの啓蒙書 「物理学を震撼させた30年 (Thirty Years That Shock Physics, 1966) 」: 日本語訳は 「現代の物理学−量子論物語−」 (中村誠太郎訳;河出書房 1967) において, ハイゼンベルクの 不確定性原理を 説明するために 用いられた たいへん面白い 図です. 著者のガモフについては, 後で「原子核の α崩壊」 のページでお目にかかれます.
 完全に真空の 部屋の中で, 鉄砲から水平に 発射された 電子は,重力によって 放物線を描いて 落下するでしょう. その電子に 光を当てて,軌道を 測定すると 何が起きるでしょう.

   上図仮想的実験 について考えましょう.  完全に真空にした 部屋の中で, 鉄砲から水平に 発射された 電子は, 重力 によって 鉛直下方に力を 受けるものとします.
 まず 古典論 (ニュートン力学と マクスウェルの電磁気学) で考えましょう. ニュートン力学によれば 電子は 放物線
(赤色の軌道) を描いて 落下するはずです. この軌道を望遠鏡で 精密に測定します. 測定するために, 時々光源のランプを 点灯して, 電子に光を当てます. 光は電子に圧力を 加えるので, 電子の軌道が 歪められないように 極めて弱い 光にしましょう. 古典論では, 光の強度に 下限はありませんから限りなく弱い光を 当てることは 可能です. その結果, 測定された電子の軌道は 限りなく 放物線 に近くなり, 私達の 常識実験的に確かめる ことができる はずです.
 しかし, 光が粒子 (光子) であることを考えると そうは行きません. 光の振動数を ν, 波長を λ としましょう. 光は エネルギー h ν, 運動量 hを持った粒子として 電子に衝突します. 衝突された電子は 最大で p = h程度の運動量を 受け取り,その結果 軌道が歪みます. 軌道の歪を 限りなく小さくするためには, p を限りなく 小さくするとよいでしょう. ということは光の波長 λ を 限りなく 大きくすることになります. 波長 λ が 望遠鏡の大きさよりも 大きくなると, もはや電子の位置を 識別できなくなります. つまり電子の位置の あいまいさ (誤差) x光の波長 λ の 程度です. したがって, 電子の運動量の あいまいさ (誤差) p

となり,

の関係が成り立ちます. この関係式 (2) が 「ハイゼンベルクの 不確定性原理」 です.
 つまり,電子の位置の あいまいさ (不確定性) を 小さくしようとすれば, 運動量の不確定性が 大きくなり, 逆に,電子の運動量の 不確定性を小さくしようとすれば, 位置の不確定性が 大きくなってしまうわけです. 位置と運動量の 両方の測定値を 「きっちりとした値」 に確定することは できないということです.
 上で あいまいさ (誤差) と 言いましたが, これは実験装置や 測定器が貧弱であったり, 目盛りの読み誤りなど による測定誤差では ありません. 実験装置は完璧で 測定は理想的に 正確に行われている と仮定しても, 用いた光の 粒子性と 波動性の 2重性による 本質的な 誤差 (不確定性) が生じるのです.

  「ハイゼンベルク と ボーアの主張」
 ハイゼンベルクと ボーアは, さまざまなケースに対する このような仮想的な実験 (思考実験) を行い (考え), どんな場合でも 上記 (2) 式の 不確定性原理を 越えて正確な位置と 運動量を確定することは できないという 結論に達しました.
 したがって, ミクロの世界では 位置や運動量は 「きっちりとした値」 を持つ普通の変数 であると考える 必要はなく, 粒子が 線で描けるような 軌道を持つという 古典論的な常識 は捨ててしまっても かまわない と主張したわけです.


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